逃げるべき境界線を知る。頑張りすぎず自分を活かす場所へ
こんにちは!「タニモク」編集部です。
突然ですが、皆さんは「限界かもしれない。この場所から逃げたい」と考えたことはありますか?
「逃げるのは簡単。でもそれは負けたことになる」と、逃げることに恥ずかしさを感じながら頑張り続けてしまう方もいるかもしれません。
今回は、「逃げてもよい境界線をもつことの大切さ」についてお話していきます。
逃げるとは。自分を活かす場所に一旦離れるということ
逃げることは、消して恥ずかしいことではありません。
「タニモク」編集部は、逃げることは「自分の活かし方を考えるための選択肢の一つ」と考えています。なぜなら、逃げた方がよい場合もあるからです。
しかし、どうしても「逃げる」と聞くとネガティブなイメージをもってしまいますよね。なぜ逃げることに対して、悪い、恥ずかしいと感じてしまうのでしょうか。
その背景には古くからの日本人の性質があります。戦時中の「捕となって捕らえられるより死を選ぶ」という言葉にもあるように、日本人は「撤退」が苦手と言われています。
美学は「玉砕」。最後まで逃げずに頑張ることが正しいとされる傾向があるようです。
会社で逃げようものなら「根性なし」と捉えられ、村八分にされてしまうことも少なくないかもしれません。
「この状況をよい方向へ変えるために、何を辞めてどこから抜け出せばよいのか」という発想がなく、途中で逃げることは負けであり、恥ずかしいこと…と捉えてしまうのです。
逃げた方がよい個人のボーダーライン「ケチな飲み屋」
冒頭で、逃げることは「自分の活かし方を考えるための選択肢の一つ」とご説明しました。しかし、そう言われても「逃げてはダメなんじゃないか」と頑張り続けてしまう方もいるかもしれません。
「こういう状態になったら素直に逃げよう」という個人のボーダーラインがあることをご存じですか?ひとつの事例として挙げるのが、「メンタル」のボーダーライン。このボーダーラインを知ることで、メンタルを崩してしまう前に自分のことを救うことができます。
例えば、事業でいうと、赤字が続いていたりとか「このラインが終わったら一旦退こう」という撤退ラインがありますよね。頑張り続けていたら、すでにダメな状態に陥っていた…というような状況です。
これは個人のメンタルヘルスでも、全く同じことが言えます。
「もう逃げた方がよい」という個人のボーダーラインを2つご紹介します。
一つ目のボーダーラインは、趣味に没頭できなくなるということ。
よく、産業医に「撤退ラインは?」と質問すると、「今まで没頭していた趣味に没頭できなくなったら注意」と言われます。
趣味に没頭するときは最もストレスフリーな状態。そのストレスフリーな対象にも目がいかなくなっているということは、何かしらの大きなストレスを抱え込み、視野が狭くなっているという危険な状態にあります。
上司目線で部下を見るときの境界線と言われている「ケチな飲み屋」が、二つ目のボーダーライン。最近欠勤や遅刻・早退が多い、泣き言が多くなっている、生産性が低い、ミスが増えている…という状態です。
このようなときはメンタルが不調の可能性があり、状況を考え直さなければなりません。
境界線を超え、体調を崩してしまうような事態を避けるにはどうするとよいのでしょうか?
「タニモク」編集部は、自分なりの「逃げた方がよい」ボーダーラインを設けておくことを提案します。
ボーダーラインを設けたうえで取り組むことで、自分を酷使してしまうことを避けられるほか、境界線を超えてしまったときに「ここまで頑張り過ぎてしまってもうダメだから、一旦離れてみよう。別の新しいことをやってみよう」と考えられるかもしれません。
「逃げる」ための境界線をもつことが大切
「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマがありました。このドラマのタイトルは「自分の戦う場所を選ぶべき」というハンガリーのことわざです。
「今いる環境に縛られるのではなく、逃げることも選択肢に入れ、自分のパフォーマンスを発揮できる場所へ行こう。そこから逃げても、最後に勝てばよい」いう意味が込められています。ドラマがヒットした理由も、そのことわざの中にあるのかもしれません。
頑張りすぎないでいいんです。自分なりのボーダーラインを設け、それを超えてしまいそうなときは、早めに逃げることを考えてみる。これからは、進退を自分自身で判断し、自分を活かす場所にいることが大切な時代なのかもしれません。